技術学校を無事卒業したものの、新米の私をまっていたのは・・・・先輩たちに鍛えあげられながら、今日もあんどうはひたはしるのでした。。。












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最初に調律師として勤めたのは、生まれ故郷の岡山でした。デイラーで、調律技術者がすでに6人いた比較的大所帯の店でした。近くに私立の音大もあってなかなか刺激的なお仕事が出来ていたとおもいます。同期にもう一人女の子が入りまして、「いっきに華やかになった」と店員がよろこんだとか???



当時の私は、お店の在庫品のメンテナンスから、一般のお客様のピアノのメンテナンスなど主にピアノの技術に携わることができ、まずまずの仕事がさせてもらえていたようにおもいます。また、当時のチーフがとてもできたかたで、さまざまな勉強もさせてくださいました。営業もそこそこがんばりまして、初めての展示会でUX5を売って、初めて自分のお客様の調律にいったことを懐かしくおもいだします。また、かの地は冬は雪が降り積もりまして、免許取たてでおっかなびっくりで冬の山道を仕事したのも今となっては懐かしい限りです。そういえば調律している間にフロントガラスが凍り付いてたいへんだったこともふとおもいだしました。浜松では考えられないでしょ?



岡山のデイーラーでのお勤めは約一年で終えて、一身上の都合で浜松へとながれてまいりました。その間に子分?が2人できて、ブランク5年目に待望の復活とあいなりました。再就職は市内のデイーラーで今度は嘱託技術者としてでした。しかし、お客様との距離を感じて「何とか自分の理想の形の仕事をしたい」と4年目に契約を切って個人独立をしようと決心したのでした。そしてついに平成7年にピアノ調律あんどうを開業したのでした。チャンチャン♪
お客様のおうちでホームコンサート⇒
 



さて、開業したものの、いったいどうやって仕事をこなせばよいのか・・・。はじめはなかなかお仕事がめぐってはきません。「わたしのできることはとにかく誠実に、しっかりとお客様に納得していただける仕事を提供することだけ」これをモットーにコツコツ仕事をこなすうちに、お客様のご紹介をいただきながら現在に至っているのでした。
演奏会前のホールでの調律・・・時間との戦いです⇒