ピアノ調律師になって早10数年がすぎさってしまいました。わたし、若いときから・・・・(今だって若いつもりだけど)ずっとこの仕事をつづけてきてるけどなんでこの仕事を始めたのか?ってよくお客様にたずねられます。
そこで!!   私の過去・・・・を懺悔します













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 幼い頃からピアノを習ってはいたものの、レッスンが嫌いでさぼってばかり・・・。でも音楽は大好きだった・・・。近所のおばちゃんに「お歌やピアノが上手ね」といわれると内心(他にも上手いもんあるのに)と欲張りなところもあったかな・・。和音当てと聴音が得意技だったころ・・・・。



大好きな作曲家ば、ベートーベン・・・何が好きってやっぱ「苦労人で努力の人」というイメージで美化していたから(笑)当時、「異邦人」とゆう曲が流行って音楽の時間をのっとってカラオケごっこをしたり・・・。作曲の宿題を忘れて、即興で演奏したら、「楽譜は?」とつめよられあわてました。(ちゃんと書いて提出したけど)小松先生ごめんなさ〜い。好きな曲はベートーベンのピアノコンチェルト「皇帝」とムソグルスキーの「はげやまの夜」。



レッスンが嫌いといいながらも、細々とピアノを続けていた中学生の頃、なんとなく我が家のピアノの調子が悪く先生にたのんで調律をしてもらうことに・・・。これが思えば私の運命を決めるできごとだったのです!!が家のピアノはしばらくレッスンを休んでいたあいだに、なななんと鼠に襲われ、瀕死の状態だったのです!! OH MY GOD !!鍵盤はかじられ、フェルトはボロボロおまけに、巣まで作って・・・。もっとも生きた鼠やミイラちゃんはなかったけど・・・。私にとって大事なピアノ(レッソンは苦手だけど)がみるも無残な姿になっていたのであります。 



 当時我が家の「瀕死のピアノ」を復活させた調律師が、現在岡山のAMZを経営しているY・Mさんでした。彼の仕事ぶりと、きれいな音に変わったピアノを目の当たりにして「私の進むべき道はこれだー」と思い込んだのです。そして高校を卒業後浜松に調律修行へとむかうのでした・・・。つづきはまたね。